2009年12月12日土曜日

旬の長崎






















長崎という土地は
深い入り江がじぐざくして構成されているのが特徴であり、
車で市街に出ると、どこへ行くにも海岸沿いをずっと走ることができる。
























長崎には『かき小屋』なるものがある。
国道沿いを車で走ると『かき』と書かれた
小屋がたくさんある。

さしずめ、海の家~冬バージョン~といった
期間限定、長崎の冬の風物詩だ。











































ぷりっぷりのかきを、㌔単位で購入して
自分たちで勝手に焼いて食べる。






















長崎は美味い!!





今日のヒトコト
長崎弁を使いこなす自分に手応えを感じている

2009年10月26日月曜日

日本のリーダーシップのあり方


















【写真】諫早の風景



「日本にはビジョンを語れる政治リーダーがいない」


大学時代、何度となくそんな類の話をしてきた。

複雑化する現代社会で、
方向性を指し示すリーダーがいない国は致命的に危うい。 
なぜ、日本の政治はそんな状態に陥っているのか。
最も関心のあるテーマのひとつだった。
 

その状態からの脱却を「政治主導」に求めた。 



「脱官僚政治」をかかげていた民主党を応援した。
ゼミの論文は「政策形成過程の変遷から見た21世紀型政治主導のあり方」とか
大そうなテーマを書いた。



今年8月。
ようやく日本はこれまでの政治に変わる
新しい政治に信を託すことを決意した。  


それから1ヶ月半、
これまでの雌伏の時代に蓄えた漲るパワーを抑えきれないかのように、
民主党議員たちは矢継ぎ早に新しい施策とメッセージを出し続ける。
大臣や政務官たちの行動量には目を見張るものがある。


その光景を好ましく見てきたが、手放しで喜ぶというより静かに見守ってきた。




しかし、今日は書きたい。


鳩山由紀夫首相の所信表明演説は
我が国の未来に希望を与える素晴らしい演説だった。


自らが耳を傾け得た知見を紹介しながら
自らの言葉で、どんな国を創っていきたいのかを語っていたように思う。


これまでの作られた演説ではない、
政治家の揺るぎない信念から生み出された演説だった。
きっと多くの国民の心にも届いたはず。
彼の言葉が日本の動力になればそれが政治だと思う。


政治のリーダーシップとはこういうことだ、
政権交代の意義はこの演説に集約されている、
そんなことを強く思った表明演説であった。

 
民主党も鳩山さんも小さくまとまらず
思い切って政治の舵取りをやってもらいたい。
有権者もマスコミもひとまず彼らのビジョンと実行を見守ろう。


彼らの創りたい方向性が形になるまではむやみに叩くな。
そうでないと次につながらない。


鳩山民主の挑戦に大いに期待したい。




追記

先日投開票が行われた神戸市長選に注目していた。
 
惜しくも落選したが、2期連続・民主支持の現職を追い詰めた
民間出身の樫野氏も自らの言葉で語れる新しい政治リーダーだ。

飛ぶ鳥落とす民主党が単独推薦する現職候補を追い詰めたのは
彼の明確なビジョンだったのだと思う。




日本の政治リーダーシップは着実に変わりつつある。






2009年9月28日月曜日

拳を握る

大相撲秋場所 千秋楽優勝決定戦 
横綱白鵬 対 横綱朝青龍


しびれる熱戦。


本割の白鵬の会心の出足と厳しい攻めも素晴らしかったが、
優勝決定戦の朝青龍の会心の左前まわしと連続攻撃も素晴らしかった。


力と技と意地のぶつかり合い。
大相撲かくあるべし↓
http://www.youtube.com/watch?v=UAEnvebQ1Nw



朝青龍の勝利への貪欲さと抜群の集中力を目にして、
俺が拳を握らないわけがない。




今日のひとこと

朝青龍の睨みと気合入れる瞬間がたまらなく好き

2009年9月6日日曜日

五島に行ってきた
























【写真】五島列島

“日本で最後に沈む夕陽を背に、
夏の五島列島・福江島を走るユニークなマラソン大会”



そんなキャッチがうたい文句の
『五島夕焼けマラソン』に
愛すべき“パラパラ”メンバー達と行ってきた。


五島列島は長崎市から高速フェリーで2時間。
日本の西端に位置する。
周囲は海しかない、孤高の島々。
長崎に来たからには絶対に行きたいと思っていた場所だ。



ハーフマラソン初挑戦の感動は、地元の方の声援と『すいか』に尽きる!
2キロ毎に設置されている給水所で振舞われる
地産スイカの美味いこと美味いこと!!


さらに、ゴール地点では
名物・五島牛を焼いてくれる地元の方たちが待ち構えている!
天国に来たようなホスピタリティでしたよ。

走ったという感覚は、のちの足の痛みが教えてくれたが、
走っている最中は、スイカを食べるために前へ進んだ、
というニュアンスの方がグッとくる。

もともと走るのとか嫌いな俺でも、
スイカと五島牛のためなら、また走りたい★と思わせてくれるようなマラソン大会だった。



パラパラメンバーは東京、山梨から本当に長崎・五島まで来てくれた。
五島を満喫してくれてよかった。


奴らの行動力と団結力に本当に感謝。

今日のひとこと
「五島牛・海・椿茶屋・五島うどん・・・最高」







































2009年8月9日日曜日

想像することを決して止めない

【写真】長崎原爆慰霊式典


64回目の原爆忌。

突っ立っているだけで大量の汗が吹き出る猛暑。
64年前の今日もこんな暑い日だったという。


11時2分、長崎の鐘が鳴り、黙とう。

平和公園を散策し、上映していたドキュメンタリーを鑑賞。
苦しい一日。


家族全員が原爆の犠牲になり、
最愛の夫に今年の1月に先立たれたおばあさん。
何度もハンカチで涙を拭っていた姿が頭から離れない。




今日思ったこと

・なぜ太平洋戦争は勃発したのか
・原爆訴訟が今なお全面解決を見ないのはなぜか
・若者世代は二度、被爆地を訪れたほうがいい
(中高時代の修学旅行で訪れたことのある人が多いと思うが、
 20代で再訪したらまた新しい見識を得られると思うから)
・30年後の我が国の核認識はどうなっているのだろうか
・原爆投下を戦争終結の手段として肯定している
 アメリカの教育、歴史観とどう向き合うか


・アメリカ現役大統領が64年が経過した今も
 広島・長崎を訪問していないという事実

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20090730095514179_ja



戦争がはじまったのはなぜ?とか
アメリカが原爆を肯定するのはなぜ?とか
そりゃ世間一般で言われていることは知っているけれど


それは答えではない。


現実を目の当たりにすることで、根本的な問題に立ち返ることができた。
すごく大事なことのような気がする。


思考を止めるな
想像することを決して止めるな

そう自分に言い聞かせた8月9日。



今日のひとこと

「生きる勇気と死ぬ勇気の二者択一を迫られる」

2009年8月8日土曜日

夏、島、海!!!






















【写真】 高島の海


夏がやってきた。
長崎の夏はなんといっても海だ。


陸続きにも素晴らしい海岸がたくさんあるらしいが
長崎近海の「島の海」は最高だ。


長崎市は三方を山に囲まれ
一方は海に面している。

長崎は昔は「深江の浦」と呼ばれていたようで
なるほど長崎港は深い入り江の奥に位置する。
天然の要塞といえる都市だ。
前にも述べたが、
やはり鎖国制度があってこそ栄えた都市と言える。
























さて、その深江の浦から
フェリーで出港すると
まず見えるのが入り江の両岸にある三菱重工の造船場。

三菱通りなるものまであるから、
長崎と三菱は切っても切れない関係にある。






















その入江から抜け出すと大小幾つもの島が見えてくる。

その一つが「伊王島」である。
フェリーでわずか19分。


ここはGWに彼女と初めて訪れたのだが、
その海と空の青さに感動した。






















妹が来た時も連れて行ったが
長崎の魅力を知ってもらうに最適な島と思っている。

往復フェリーと温泉利用券付で980円。格安。
サイクリングやゴルフ、テニスもできて
一日遊べる無敵のレジャー島だ。
毎週末行きたくなる。

























さらにその伊王島からフェリーで10分、
そこには三菱炭鉱で有名だった「高島」がある。























この島の海は日本の水浴場88選にも選ばれている。
その高島に会社の仲間と行ってきた。


海で騒いで、サイクリングで島を一周して夏を満喫★




























島の魅力は自分たちの生活圏内から完全に抜け出して
いい空気を吸えることだと思っている。

心から自由になれる。


長崎だと、わずか20分そこらで
そんな隔絶した自由な場所に行くことができる。

長崎の特権です。




今日のヒトコト

真黒に日焼けしたのは高校時代以来だ。


2009年8月2日日曜日

歴史を語り継ぐ


【写真】一本足鳥居
(爆風で爆心地側の片方が倒壊。今も一本足で立っている)



長崎を語る上で避けては通れない
「1945年8月9日11時2分」

長崎は世界で2都市しかない
原爆が投下された都市の1つである。



原爆慰霊の日を来週に控えた8月の日曜日、
原爆資料館に行ってきた。

館内ガイドに案内をしてもらったのだが
ガイドの方は、実際に被爆体験をされた77歳のおじいさん。



とても貴重な出会いをいただいたので
今日は、おじいさんの話を書き残したいと思う。

館内の案内を熱心にしてくれたが
自分の話はできるだけ避けるように
努めて客観的に案内をされているのが印象的だった。


客観的な案内をされている理由は2つあったと後でわかったのだが、
俺はご自身の体験が聞きたかった。
おじいさんの負担にならないように言葉を選びながらも質問をした。



おじいさんは中学3年生の時、1945年8月9日を迎えた。
当日、爆心地から3キロ離れた工場で
勤労奉仕をしていたので助かったそうだ。

衝撃音と同時に空が真っ赤になり
その数秒後に真っ暗になった、という。

家は爆心地から半径1キロ圏内にあり
家族は疎開していた末の弟を除いて全員亡くなられた。

地獄のような光景…



印象深い言葉が2つ。

おじいさんはガイドを最近始められた。
原爆後も長崎にずっと住んでいたが、
ガイドの存在は最近まで知らなかった。

なぜなら、
『自分の周りの人間もそうだが、
 あの体験・記憶を忘れるようにしてきたから』



もう1つ。

『歴史は必ず風化する。
 体験した自分でさえ、
(これまで意図的に記憶を消そうとされてきたのだろうが)
 当時の記憶がおぼろげになってきている。
 そんななか、体験者の中には、自分が体験していないことをさも体験したように
 話したり綴ったりしている人がいる。それがとても残念』

『だから、できる限り、自分が経験した事実だけを伝えたい』



体験者の中には自分が体験したことだけではなく
周囲で起きたことを語り継ごうという気持ちで
「違う人の話」を作ったりする人もいるだろう。

また、時が経てば記憶が部分的に誇張されたり
恐ろしい出来事を脳内で消去したり
いろんな意味で事実から遠ざかることもあるだろう。

歴史を語り継ぐ難しさを思った。





ひとしきり話を終えて、別れ際。
おじいさんが最後にポツリと
亡くなった弟さんの話をしてくれた。


『8月15日の終戦の翌日。
 中学1年生だった弟は苦しみながら死んでいった。
 最後に弟はこう言った』
 
『兄ちゃんは死ぬなよ』



おじいさんは子供や孫に恵まれ今日を迎えている。
でも、いつまでも忘れることのないあの日がある。





今日のひとこと

黙っていても、歴史は語り継がれない。
黙っていたら、歴史は造り替えられる。

2009年7月25日土曜日

壁を超えたい


















【写真】受験の神様達と宮崎県知事と馬場 @博多の紀伊国屋書店



『壁を越える技術』 BY 西谷昇二

『今、変わらなければいつ変わるんだ、やれ!』 BY吉野敬介

『人生を劇的に変える東国原式勉強法』 BY 東国原英夫

『受験はゲーム! 「道塾式」劇的合格法』     BY 馬場祐平  


タイトルって面白いね。

一見、カリスマの本たちと並んでいるように見えるが
馬場氏の本は、隣の本棚にあります。(写真右端に2冊ある黒色の本ね)


壁を超える技術が欲しいところです。





今日のひとこと

それにしても、我が国の流通網の素晴らしさをみた思いです




2009年7月20日月曜日

1.33と1.37

【写真】あやとり橋(石川・山中温泉、2年前に旅したときのもの)

明日、解散。


ちょうど郵政解散から4年。
前回はまだ暑さが残る、9月に総選挙があった。
あれから4年か…
俺の人生にしたらあっという間だったが世界のスピードからしたら
「やっとか・・・」といったところか。

馬場が、政友会の総務幹事という世の中へのインパクト的にはゼロに等しかった時期から「社長」になり、「テレビ」「新聞」に出て「本」を出すくらいだから、世の中はだいぶ動いたのだろう。


さて。
その解散総選挙になるわけだが、ただのお祭りでないことは間違いない。
というかお祭りではない。
「日本がよくなる」可能性について考えなければいけない。

村上龍氏監修のメールマガジンで
『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』という特集がある。

村上氏がお題を投げかけて、各専門家たちがそれぞれの私見を投げ返すというのがやり方。
村上氏の素朴な問題提起とフラットな立場から 金融経済のスペシャリストたちが
私見を述べあうというスタイルがとても面白い。

その中で、
Q:来るべき総選挙で民主党が過半数を取った場合、
 国民のどの層がどんな利益を得るのか? というのがあった。

その中で、何人かの答えが
「民主党の政策から最も直接的な恩恵を受けるのは、子供が多い家庭」
に集中した。

「子供手当」のことだ。

中学3年生までの子供がいる家庭へ1人月額2.6万円の子供手当を支給する
という政策。



ふーんという感じだが、たまたま今日読んでいた
『20代、お金と仕事について今こそ真剣に考えないとヤバイですよ!』という
長いタイトルの本とリンクするところがあった。

以下、ほとんど本の引用だが
現在30歳の夫婦は子供を何人育てられるか?という問いに対する数式である。



【ポイント1】生涯賃金
30歳の平均手取り額は400万円と言われている。
「経済のグローバル化による賃金低下」と「増税と社会保障費の増加」により
手取り額が変わらず今後30年続くと過程した場合・・・


(60歳ー30歳)×400万円=1億2000万円が生涯賃金となる。


【ポイント2】60歳までの夫婦の生活費(働き手は一人の場合)
夫婦2人で暮らすために必要な最低年間生活費を
生活保護制度の平均的な支給額を当てはめて計算すると・・・


14万円×12か月×30年=約5000万円が必要。


【ポイント3】老後の蓄え
2人で3000万円 必要らしい。


【ポイント4】子ども一人を育てるのに必要なコスト
3000万円 必要らしい!



【答え】そんな夫婦が育てることのできる子供の人数は・・・
(生涯賃金)ー(最低限の生活費30年分)ー(定年後に必要な貯え)
=4000万円


4000万円÷3000万円(子供一人に必要なコスト)=1.333人

1.333人。



2008年の出生率が1.37人。限りなく近い数値。
まぁ、この計算式には突っ込みどころもあるだろうが、
とにかく現代の出生率は、合理的な数字であるともいえるのではないか。



【そこに、子供手当が実行されれば・・・】
子供一人に対して、中学3年生までに支給される額は約500万円。

さっきの式に500万円を入れ込むと
4000万円÷(3000万円ー500万円)=1.6


むぅ。それでも1.6人か。


「人口を維持できる水準の出生率」は
2.07とされるらしいからまだまだ足りない。が、大きな前進になろう。

今の職場は、20代がほとんどの若い組織だが
子供がもうすぐ生まれる人がいたり、近い将来結婚を真剣に考えている人がいたりと、お金に関するシビアな話が出てくる。

そんな環境だからか、
お金はとても必要だし、子供を育てることは大変なことだ、
と最近強く思うようになった。



子供手当の是非に関しては、
財源の出所なども鑑みて見定めてなければいけない問題とは思うが、
いずれにせよ、1、37人という現実は重く見る必要があるし
そこになにかしらの政治的アクションは必要だと思う。


そんなことを考えた解散直前の日でした。




今日のひとこと


「そういえば、俺が育つのにいくらかかったのだろうか・・・」


2009年7月12日日曜日

若者党

【写真】「でじま」長崎港にて



『竜馬がゆく』をゆっくり再読している。


竜馬は大変な「船狂い」だったらしい。


諸藩の名だたる志士たちが我先にと京へ上洛し
刀を持って尊王攘夷!と叫んでいた時代に
竜馬は、長崎、神戸、江戸を行ったり来たりしながら
船を集めることに執心していた。

そして、血気盛んな志士たちに「船をやろう!」と説いて回っていたそうな。
彼らからしたら「気は確かか?」と言いたくなる状況だろう。


若い志士たちを仲間に徒党を組んで
竜馬艦隊を作りたかったらしい。
そして倒幕、さらには世界を相手に商売を
するつもりだったらしい。

これが日本初のカンパニー、「海援隊」になっていく・・・




さて、現代。

マネックス証券松本大氏のblogで
こんな記事があった。
http://ameblo.jp/monex-oki/entry-10295300721.html



「若者党」


この松本氏の発想は以前、馬場から紹介されて
ちょっと話したことがあった。

発想がとても素晴らしいと思う。

以下、blog引用。

若者党を作るのに、歳を取り過ぎているから出来ない、
と云う理由なら分かります。
しかし若過ぎるからなんて。
この古典落語のような落ちに、
私は文字通り椅子から転げ落ちてしまったのでした。



歳を取り過ぎるまえに・・・




今日のヒトコト

日馬富士がメキメキ成長している

大きな道の真ん中を歩く

【写真】キックオフ後のパーティー
(全国の事業部関係者1500人が一同に集結)


今日は、おススメコラムを2つ。


【大前研一】
この前、blogに扱った東国原出馬問題で
書いた視点と同じようなことをよりわかりやすく大前氏が言っている。
この人は、常々、国の借金に対して警鐘を鳴らしていたり
政治の仕組みに対して新しい提案をしているのでぜひチェックしてほしい人。

もう何十年も持論を訴え続けているスーパーな人だ。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090707/165598/



【高城剛】

「ストリート革命」という記事が面白い。
車中心の道から歩行者中心の道へ。

歩行者が大きな道の真ん中を闊歩する。
絶対気持ちいいよね。

http://blog.honeyee.com/ttakashiro/

いま、当たり前に感じていることって
実は「古い」んじゃないか。

そうやって疑ってみること大事なことだと思う。



この両名に共通する点は
世界の動きをよく知っていること。

だから、日本の枠に捉われない
着眼点、発想を持っている。



話はちょっと逸れるが
日本人が最も愛する歴史上の人物、 「坂本竜馬」
この人は徳川260年の常識に捉われずに
世界を見ていた人だった。



最近、『竜馬がゆく』を読んでいて考えるのは
なぜ日本人は竜馬が好きなのか?ということだ。


日本人はとかく、「横並び」「変化を好まず」「枠からはみ出たくない」的な
気質が強いと言われるが、竜馬は完全に真逆に位置する人だ。



竜馬が好きな日本人。

本当は「枠に捉われたくない」という欲求を
持っているのではないだろうか。


もし、そうだとすれば
そんな日本人にはぜひ「大前研一」と「高城剛」を
チェックしてもらいたい。



現代の「竜馬」は誰だ。




今日のヒトコト

「ティファニーで朝食を」


2009年7月5日日曜日

画期的

【写真】Red Lantern @出島ワーフ

なにが画期的か。
これを見てほしい。

http://www.wasedarugby.com/topics_detail/id=2120

You Tubeに早稲田ラグビー部専用チャンネルが出来た。


早稲田ラグビー部は清宮時代に
アディダスとスポンサー契約をしたり
地域スポーツクラブを作ったり
はたまた、ホームページのコンテンツ制作に力を入れたりと
常に先進的な試みで、ファンとの距離を縮める努力をしている。

今回のYou Tubeでの専用チャンネルも然り。
(単独チームが公式チャンネルを持つのは、スポーツチーム初)
長崎からでも上井草での練習試合が見れる★

早明戦や早慶戦のようなビッグな試合はテレビで見られるが
練習試合はそうはいかない。

それが見れるようになる。




画像は荒く、45分間のハーフをずっと見ているのは辛い。
しかし、機器の性能や撮り方次第で、
普通にテレビを見ているような感覚に近いところまで持っていけるだろう。


これまでも個人が撮った映像や
著作権無視でテレビから拝借した映像などが
ウリだったYou Tubeだが、
言ってみれば無法地帯サイトであったことは間違いない。

そこに、認知度が高く、広い範囲でファンの多い
スポーツチームが公式にチャンネルを作ることで
サイトに“お墨付き”を与えることになる。
一種の安心感とサービスの幅の広さをユーザーに
伝えることになるだろう。

そうなると、これまでもあった個人発信に勢いがつき
加速度的に個人が撮った映像が
各家々で普通に見られるようになるのではないだろうか。


早稲田ラグビーに限らず
地域のサッカーチーム、高校スポーツ、合唱コンクールなど
マスメディアでは取り上げられないが
少数の関係者からは注目される
そんな情報がたくさん埋もれているはずだ。


You Tubeを初めて見たときの
衝撃は今でも覚えているが、
その使い方が少しずつわかってきた。
そんな時期だろうか。

P.S.

You Tubeのおかげで世界的に一躍有名人になった
のど自慢的番組で歌う女性の映像。思わず全部見てしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0&feature=related




今日のひとこと

『一寸先は闇』


2009年6月28日日曜日

日本を選択する

【写真】坂本竜馬の像


最近、東国原氏の動向が注目されている。

自民党(のイメージ)を変えてもらうために
マスコミからも国民からもウケがいい人気知事に
白羽の矢が立ったというところか。



今日言いたいことは、
これ以上、国政選挙の争点をずらさないでもらいたいということだ。



来る国政選挙の争点は「政権選択」だ。

どの政党がよりよい日本を創っていけるか
政策、党の体質、意思決定の仕組み、理念などを吟味して
選ぶべき問題だ。



宮崎の人気知事が立候補するかしないかは
それほど大きい問題ではない。

なぜなら、議会制民主主義の日本の政治体制において
一人の政治家にできることはそれほど大きくないからだ。

決して一人の政治家の力を軽視しているわけではない。

国政選挙に関して言えば、
どの政党が政権を獲るかということのほうが大事だと言いたいだけだ。

(加えて、東国原氏は、地方分権を本気で推進したいのであれば
 1/480人の衆議院議員になるのではなく 宮崎県の首長として
 他の首長と連携を取り続け宮崎から地方分権の重要性を
 発信し続けたほうがよっぽどいいのではないかと思う)



そもそも


「自民党を変える」



このフレーズは4年前に聞いたことではなかったか。

小泉氏は「自民党をぶっつぶす」という刺激的なフレーズで
ホリエモンや刺客候補を立てて
マスコミを扇動し、そして国民は異様なまでにその熱狂を支持した。

その自民党は4年間で何をしてきたか?

小泉自民党に票を入れた国民は
この4年間をどう評価するのか?

その4年間の通信簿を作成した上で、
次の4年間政権を任せるに値する政党は
どこなのかを考えなければいけない。


個人的に、小泉氏の首相としての功績は
経済諮問会議を中心とする首相諮問機関を有効活用して
首相、内閣のリーダーシップを強化したことにあると思っていた。

政策の良し悪しとは別の次元で
「選択と集中」が求められる現代社会において
政治のリーダーシップは不可欠と考えるからだ。

だが、小泉後の安倍・福田・麻生政権は
諮問機関をうまく活用することができず、
なりを潜めていた族議員の復権を許した。
旧来の党・総務会主導の調整型政治に戻ったとみている。


つまり、「自民党をぶっ壊す」というのは
小泉氏の異常なまでの人気に支えられてできた一過性の現象であって
それ以上のものではなかったということだ。



結局、50年続いた自民党の政治を
変えることができるのは 自民党の中ではなく、
それに対抗する勢力だと思う。
(もし大きく変える必要があるのであればである)


自民党は50年延命し続けた 。
他の先進国では考えられない “超優良政党”である。


金権政治田中角栄からクリーン三木に
首を挿げ替えたように
調整型の小渕・森から脱派閥の小泉に
首を挿げ替えたように
自民党は蛇の脱皮の如く
延命措置を繰り返し、政権の座を維持し続けた。


先行きの見えていた20年前までならいざ知らず、
「失われた10年」といわれた90年代と
少子高齢化問題の顕在化と
新興国の躍進目覚ましい現代2000年代にも
いまだに旧来政党が政権を維持し続けている。

驚くべきことだ。


今回もまた自民党は
あの手この手で、商業主義に浸かったマスコミの力を借りながら
面白おかしく国民に訴えるのだろう。



国民の目にそれはどう映るのだろう。




政権選択は真剣に考えるべき問題だ。

特に若者が真剣に考えなければいけない。
自分たちの50年後、未来の子供たちに直接関わることだから。

小さな利害抜きのフラットな視点で真剣に。

未来の日本を選択する日が近づいている。




今日のひとこと

「今一度、日本をせんたくいたし申し候」

-坂本竜馬-

2009年6月21日日曜日

世界を旅する

【写真】夜明けの海(雲仙 千々石) 



高城剛。



ここ1年間で、一番注目している人物。

沢尻エリカの旦那さんであり、
ハイパーメディアクリエイターとして
世界を飛び回っている人。


この人の見聞録、考えていることが
今、最も面白い。



年間200日を世界のどこかで過ごし
各国の街の成長や勢いを肌で感じ取り
地球人、日本人として
メッセージを発信し続けている。



世界を股にかけた旅人。



高城氏は「個人開国」を強く訴えている。

国家や既存メディア、今属している団体に頼るのではなく、
自分の目で世の中の潮流を見分け
自分に属する力・技量・視野を養え、と言っている。


特に、これからの時代を担う若者に訴えている。


俺はと言えば・・・


長崎の街を見つめながら
コナミスポーツで走りながら
20代の同僚や上司と将来について話しながら


俺も含めて、若者、どう生きるべきか。

けっこう考える。



もっと大きな大きな世界に関しては
高城氏の見ている世界をのぞかせてもらいながら
世界を旅している気分に浸る。


今はそんな感じだが、いつか、自分の目で世界を見たい。





P.S.
彼のブログで沢尻エリカとの
結婚報告がさらっと書かれているのだが、
それがまた最高にカッコイイ。

2009年1月の彼のブログを辿っていくと
出てきます。
http://blog.honeyee.com/ttakashiro/archives/2009/01/06/




【写真】島原

2009年6月8日月曜日

無邪気で本気な挑戦






















【写真】蛍茶屋近くのお寺



日経新聞一面で
グーグルの経営システムについて紹介があった。


創業者は若い技術者2人。

2人から始まった大いなる挑戦は
今は世界中の人々の身近に無くてはならない
システムになりつつある。



ここまではよく知っている。




彼らは、会社設立3年で
経営を外部から招いたシュミット氏に委ねる。


これは知っているようでよく理解していなかった。



彼らは経営会議や株主総会にもほとんど
顔を出さないというのだ。



そこまで極端に経営を任せているとは知らなかった。





創業者2人には大いなる目標がある。




「世界中のあらゆる情報を組織化すること」



めちゃくちゃ壮大なことを大真面目にやっているのだろう。



大いなる目標のために
誰にも邪魔されずに、技術や製品開発に集中したい。

トップスピードで突き進みたい。



だから経営は信頼できる専門家に任せて
自分たちは邪魔されずに走り続ける。
もちろん、重要な決定権は自分たちで握っている。
自分たちがやりたいことが阻害されない限り
経営の一切を専門家に任せるのだろう。




そんな仕組みを作ったのだ。




自分たちがやりたいことを
世界最高の環境で推進する。



無邪気な好奇心と壮大な理想を
着実に推進する。とことん追求する。


本気なんだな、とちょっとぞっとした。




彼らは経営という観点でも
これまでの世の中では考えられなかったことをしている気がする。






今日のひとこと

「ここに自分より優れた人々を集める術を知っていた男が眠る 」


-鉄鋼王カーネギーの墓に刻まれた言葉

2009年6月7日日曜日

小さな枠の世界






















【写真】どんどん坂



今の仕事はA4サイズの雑誌の中。

1/8ページとかっちゅう小さいコマの中で
お店の紹介をする。



限りあるスペースの中で
膨大なお店情報を伝えることは難しい。


しかも、単に情報を出すだけではなく、
何気ない情報に光るものを発見して命を吹き込んだり
クライアントと相談して新しい付加価値を作ったり。


そうして出来た小さい1/8ページで
読者に認知してもらい、来店までの導線を引く。



そんな仕事。



この仕事を4月に始める前は、
こんなちまちましたコマサイズを誰が見るねん!
どのお店もみんな同じに見えるわ!



と思っていたけれど、
今じゃその小さい枠に無限の可能性を感じているから
人間、やってみないとわからないことが多いとつくづく思う。




小さな世界でどのように表現するかを考えることが
楽しくなってきた。


表現次第で、結果が明らかに違うから面白い。


それはつまり俺のお客さんの
今後を大きく左右する一手になる。



そんな小さい枠の世界。





今日のヒトコト

幕末と現代の共通点は
既成社会のシステム・権力・常識に限界が見えていることか

2009年6月2日火曜日

熱い夏の到来

【写真】ローソンに暖簾


お囃子の音で目が覚めた6月1日。


長崎が誇る勇壮な祭り「長崎くんち」

くんちで奉納する演し物のけいこ始めとなる今日は
「小屋入り」と呼ばれている。


街で営業していると、いたるところでお囃子が聞こえてきた。

奉納をする町では、いたるところで暖簾がかかり
写真にあるようにローソンにも暖簾が掛かっていたのだった。



伝統の祭りじゃ。
天下の全国チェーンのコンビニも郷に入らば郷に従えじゃ。


故郷、熊谷のうちわ祭り・久喜の提灯祭りの思い出した。
(でも実際、故郷の祭りといっても担い手ではないので、それが哀しい)


自分の祭りがある人を羨ましく思う季節でもある、熱い夏の到来。


間違いない。


甲子園を見て、熱いものがこみ上げると同時に哀しくなる。
これも彼らの祭りを羨ましいと思うからだ。


熱い夏の到来。


俺の中にも祭りを。



今日のヒトコト

いい女だ

2009年5月31日日曜日

風邪をひいたので読書

【写真】紫陽花と眼鏡橋


佐藤勝氏の「交渉術」を読了。


相手の内在的論理を捉える
という言葉が印象に残った。

内在的論理とは、
相手の根底に流れる論理のことであるが、
それは民族の神話、宗教、義務教育で使用される歴史、
国語の教科書などにより培われてきたものであるという。

だから、対外交渉において、
インテリジェンスのプロは相手の論理を知る上で、
相手国の神話や宗教から徹底的に調べ上げるのだという。



気づけば、我々の身近でもさまざまな内在的論理がある。


いろいろな人に出会える営業に置き換えてみれば尚更よくわかる。


交渉で大事なことは、相手側の論理を捉えた上で、
相手に信頼してもらう(納得してもらう)材料をひとつひとつ増やしていくことだ。


相手の「Yes」を積み重ねていけば、あとは「OK」しかない。

2009年5月17日日曜日

高田荘について























【写真】高田荘 第5期メンバー


若いうちにルームシェアをするといい、

という価値観が俺にはある。



高田荘

俺の原点。



三角形の形をした一軒家。
その家に常時3人が住んでいる。



21才春から25才冬まで、丸5年住んでいた。



近くには神田川が流れ、路面電車の都電荒川線が走り、銭湯もある。
かぐや姫の「神田川」のモデルになったそんな豊かな町に高田荘はある。




高田荘はという名称は自分達でつけた愛称。

トキワ荘を意識して命名した。



トキワ荘…漫画家の卵たちがそれぞれの夢を見て集った梁山泊。
手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄など、
日本漫画界に名を残した人たちが共同生活をした家。




高田荘のメンバーは進む道がそれぞれまったく異なるが
トキワ荘のように、夢を抱いて、いつの日か世に出たいと願う
ギラギラした若者が集まり、それぞれの想いや夢を語り合える家にしたかった。





事実、高田荘はそうなっていると思う。




たこ焼きパーティーをしたり

鍋をしたり

それぞれの仲間を呼んでは、語った。



20代の前半に、馬鹿な話や真剣な話を
様々な背景を持った人たちとすることができた。




国際学生シンポで出会った世一は
その1ヶ月後には関西から上京し、
以前の大学を退学して、早稲田に入りなおした。
奴の紹介で、占い師のユピテル、映画の飯塚、
ダンスの新田くんが高田荘にやってきた。






高田荘は一軒家三階建てで、「扉」は玄関とバストイレにしかないから
人と向き合わざるを得ない環境になる。

当然、メンバー同士の衝突もあったし、

それぞれ我慢した部分もあった。



でも、そこでしか出会えなかったかもしれない人たちと出会え、
こいつらだから、と打ち明けられた話もある。
俺だけじゃなく、ほかのメンバーもそうだった。



人に言えない自分の内面をさらけ出すことで

乗り越えられたこともあった。




そんな家と仲間に出会えてほんとうに良かった。



だから、みんなにもおススメしたい。





柴田は政治の道を志し

本田は教育を通じてたくさんの高校生と向き合うだろう

世一は物を書くことで己を表現し、

ユピテルは占い師として悩める人の救いになり

南米放浪から帰ってきた飯塚は映画界の巨匠になるのであろうか

新田君は保育士の卵、3つ子の魂にとても温かい感性を伝えてくれるはず

俺の代わりに入った馬場は…永遠に自由人だろう






高田荘メンバーの将来が楽しみだ。



2009年5月16日土曜日

理由があるのさぁ~

【写真】誕生日ケーキ Have @ chat

26才を長崎で迎えました、イェイ☆


まったく25年間縁のなかった土地だっけど、
私、職場もこの街も好きです。
とても気に入っています。

縁でいうと、実はまったくなかったわけではない。
てっちゃんがいたらからね。

昨晩一緒に飲み語らった相手もてっちゃん。

メガピの友が昨年長崎に赴任し、
そして俺も1年後に長崎に赴任したというこの縁。



そして、実は、長崎にはもう一人知人が。
メガピでお世話になった団塊世代サークルのメンバー、黒木さん。
仕事の関係で、長崎に月の半分居らっしゃることを先日知った。
この前一緒に飲ませてもらった。すごいぜ★



この縁はすごくないかい?

でも、偶然とか奇跡という一言で片づけられるものでもないと思う。


昨日飲んだHave @ chatというすこぶるスタイリッシュなバーも最高だった。
長崎のお寺の多い閑静な町に突如存在するお店。


なぜここにこんな雰囲気のあるバーが??
最初見たときそう思った。


スタイリッシュなバーは意味もなくできるわけがない。
ちゃんと理由があった。


聞けば、オーナーの経歴が面白い。
外国で働き、その後某有名企業の役員を経験してる人。

長崎は故郷だそうで、店は3年前にオープンさせたとか。

このお店はオーナーの感性があって出来たお店だったのだ。

なぜか妙に納得してしまった。




そう、最近思うのは「理由や背景」について。

人の縁にも、お店にも、
これまでに培った「なにかしら」の「理由や背景」がもちろんあるんだってこと。



偶然に思えても、そこには理由や背景がきちんとあるんです。

その「理由や背景」はたまに掘り下げてみるといい、そう思う。


ちなみに、これよかった
http://www.youtube.com/watch?v=SNuNpjZLPY8
忌野清志郎&甲本ヒロト Remember You imawano kiyoshiro



今日のヒトコト

「ワンとニャン」

2009年5月10日日曜日

長崎さるく

【写真】亀山社中跡にて 


「さるく」という言葉を、この一カ月の間に何度となく口に出した。


長崎弁で“ぶらぶら歩く”という意味。




長崎という街は、日本の西端に位置する。
日本の玄関口であった出島の周囲は山々に取り囲まれており、
平地がほんとうに少ない。


平地が少ないから、山の斜面にたくさんの家々が並んでいる。
まっこと坂の街だ。



よくもまぁこんなところに、都市を作ったなと歩けば歩くほど思う。
どう考えても、都市作りに向いている土地ではない。


大げさに言えば、長崎自体が、日本から隔離されており、
徳川幕府にとっては唯一の外国との交渉口として
好都合の土地だったのだろう。

事実、出島が作られる以前は、なにもない漁村だったそうだから、
この長崎という街は、260年続いた「鎖国」という制度が作った都市なのだ。



長崎は、ご存じのとおり
江戸以降は歴史の重要事件にたびたび顔を出すことになる。
だから、見どころはたくさん。


しかも、長崎の中心部はコンパクトだから
なにげなく歩いていると「あれ、ここに勝海舟が逗留していたのね!」
とかいう発見がわんさか出てくる。

そんな長崎を満喫するのに一番いいのが
「さるく=ぶらぶら歩く」ことなのだ。


「長崎さるく」という観光協会が作ったおススメ散歩コースも
全部で52もある。

さるくマップも売っていて、これが意外にも内容が充実している。



キリスト教弾圧の歴史やオランダはじめとする諸外国との文化交流
幕末の志士達が活躍した時代、原爆の遺構など、
学ぶべきこと、考えることがたくさんある街です。



写真にある「竜馬のぶーつ」は
坂本竜馬らが結成した「亀山社中」跡のすぐそばにある。
(ちなみに、日本で最初にブーツを履いたのは竜馬だったらしい)



ここからは、長崎の街を見渡すことができる。
なぜ山の上に社中を置いたのかもよくわかるよ。



竜馬はそこから長崎の街、そして日本の未来を 見ていたのだと思う。



竜馬が見た景色、とてもいいよ。

みんなにも見てもらいたいです。




引っ越してきて知ったが、
亀山社中跡は俺の家の裏山にある!
10分“さるく”(たぶんこうは使わないが)と着くほどの近さ。

ちょっと感動★



GWと今日と、早くも2回行ってしまった。




遊びに来てくれた人にはさるくガイドしますので、
ぜひ一度長崎へ!


今日のヒトコト

「長崎はわしの希望じゃ。やがては日本回天の足場になる」

(司馬遼太郎 竜馬がゆく より)

2009年4月26日日曜日

長崎の休日

【写真】長崎ホルモン


長崎、食いもん美味いよ!
写真のホルモンは丸腸(牛の小腸)

竜二の地元・福岡は田川直送の
ホルモン鍋をはじめて食べたときは最高に感動したが、
やはり九州はホルモンが美味い★



さてさて、長崎、はじめての週末。

自転車で街をぶらつく。
坂の街だから、自転車に乗っている人がほとんどいない。
実際、乗れない(乗ったことのない)人もかなり多いらしい。



街を散策していると、
カステラ屋さん、カラスミ屋さん(結構あるのよ)が多いのはもちろんこと
和菓子屋さんがやけに多い気がする。



「胡麻もち」
「うぐいす餅」
の美味い店をそれぞれ見つけた☆



そして、夕方からはフィットネスジムへ。


ついに、社会人二年目、フィットネスに入会しました。
昨年から会社の先輩から勧められていたけれど
一歩足が出なかった。


しかし、


最近読んで激しく刺激を受けた本、
「編集者という病」(見城 徹)
でもフィットネスで汗を流す話があった。



これが決め手。



集中力とタフな精神力を鍛えたい。




もうこれで逃げられんばい。



走るしかなかとよ。

いろんな意味で走るしかなかと!





今日のヒトコト


「しょぼぼぼぼーん」


2009年4月16日木曜日

鷲か鷹か

【写真】長崎のシンボル 「眼鏡橋」

着任初日。気持ちの良い朝。



写真の眼鏡橋でサンドイッチとコーヒーで
ゴキゲンに朝食をとっていたら、事件は起こった。

サンドイッチをおもむろに口に運ぼうとした瞬間、

「ぐぅおぉん!!!!」

という音とともに何かの物体が
高速で耳をかすめ、手に持っていたサンドイッチを
きれいに奪って去って行った。




やつはサンドイッチを奪い
勝ち誇ったかのように
おれの頭上の空を3度旋回して
長崎の空へ消えていった。

鷲か鷹か?

それとも?

会社の人に興奮気味で話したら
なんとでもないという顔で


「それ、とんびです」


とのこと。



長崎では当たり前の風景らしい。


ひどい人だと、パンを盗られるばかりか
おまけに鼻に引っ掻き傷をつけられたこともあるとか。


どんだけ長崎の人は平和主義者なのだろう。


とんびにいいようにやられているよ。



長崎の空を支配する王者、

「とんび」との出会いだった。



今日のヒトコト
「おいどんちょ」

2009年4月13日月曜日

眼鏡橋にて

【写真】てっちゃんと@眼鏡橋の飲み屋


たくさんの人に温かい餞別をもらい、はるばる来たぜ、長崎。


ほんとにほんとにありがとう。

2009年4月2日木曜日

よく晴れた日 長崎編

長崎奉行に任命されました。この街、好きになりそう。

【きょうのヒトコト】
大きなことを仕掛けていきましょう

2009年3月15日日曜日

メルシーからチャンポンへ

【写真】愛しのメルシー

昨年の春節に柴田と中国東北三省を旅した際、
とある独立行政法人の駐在の方に現地での活動の話を伺う機会があった。
技術支援や日本法人のサポートなど、やることやれることてんこもりで
興味深い話を聞かせてもらった。

その方は早稲田OBで、俺たちの共通の話題は「メルシー」だった。



あの味は、メルシーでしかだせない
え、ラーメン値上がりしたの?
・・・けしからんな。



などと話が盛り上がったのを覚えている。
(10円値上がりしても、400円。でも、けしからんと言われるメルシー。最高だ)

メルシーをここ5、6年食べていないという
その方に、メルシーの出前を取ってあげたい気持ちになったものだ。

メルシーが食べられなくなるということはつらい。






と、いうわけで、

長崎までメルシーを出前してくれる人を募集します。




北関東と早稲田で25年間過ごしてきた俺にとって
長崎の地は「ぶっとびカード」すぎるイベントです。



ふつう、「ぶっとびカード」を東京で使っても、

ゆうても

浜松とか

和歌山とか


まぁいっても姫路でしょ




ここまで飛んだら気持ちがよいです。



4月から長崎編のスタートです。






今日のヒトコト

「しょうじ、ちゃんぽん? チャンポンベルト~!」
そうやって茶化す会社の先輩がいる。



2009年3月1日日曜日

ラグビーの季節も終わり

【写真】焼肉くにもと@浜松町
  

ヤキニクエストという焼肉サイトで
「殿堂入り」していた焼肉屋さん。


写真の兄さん、えらくお店を気に入りまして

「しょうじの今までの働きで、今日が一番の働きだった!」

と一言。





・・・・そんなわけはない。 


どれだけ今まで働いてきましたか。






昨日も曽我部の天才ぶりを観に行こうっということで
ひとり秩父宮グランドで席取りをしていたし。



今年もラグビーの季節が終わりを告げ、春がやってくる。
振り返れば、冬の風物詩を仲間たちと見始めてから丸6年。

変わらない大切なもの
変えていきたい大事なこと



があるはず


今日のひとこと

漫画「ヒストリエ」にハマった

2009年2月14日土曜日

嘘です!


【写真】少年メリケンサック


「好きです!パンク!嘘です!」
この小気味よいキャッチフレーズがめちゃくちゃ心に刺さっていた。


このポスター昨年末くらいから
ずっとメトロで張り出されていて、
いい加減に観させろ!的な気分だったので
本日初日9時20分の回で観ました。

今日の小春日和の如く、
ごきげんな映画です。

ところで最近、もこみちに近づいてきました。

今日のヒトコト

その日にあった服に替える、という技を覚えた

2009年2月8日日曜日

誰も守ってくれない

【写真】BOWLS cafe @新宿御苑


「誰も守ってくれない」
という映画がとてもよかった。

凶悪事件の犯人逮捕後数日間を
加害者(とその家族)被害者(とその家族)、
警察、マスコミ、世論(2チャンネルの住人)など
様々な関係者の「動き」を描いた作品だ。

彼らの顔をうまく引き出し、
そして強引な結末を取らずに余韻を持たせて締めくくった、
とても良い映画だった。

「誰も守ってくれない」という映画のメッセージをどう捉えるか、
観た後考えてみるのもいいかもしれない。


映画での「誰も守ってくれない」というメッセージは、
少なくとも、自分以外の全員が「敵」だったり誰も「支えてくれない」んですよ、
という次元の話ではなかった。



俺自身は、「誰も守ってくれない」のメッセージから


「最終的には自分は自分で守る、
 自分は自分で活かすのだよ」という強いメッセージを受け取った。


これは一時期流行った、「自己責任論」とかいう安い言葉とは質の違うものだ。




自分(や家族、大事な友人)を守れるのは
最終的には自分以外の何者でもないからこそ、
自分を奮い立たせないといけない、ということ。
そして、奮い立っていれば、周りも自然と支えられるし、
守れるのだということです。

そんなことを考えました。


今日のヒトコト

「想いをカタチにできちゃう人でごめんな!」

2009年1月18日日曜日

白い

【写真】 瑛舎夢@銀座 
まろやかなカレーが好きな人に激しくオススメ。
左はチキンマサラ、右はほうれん草とチーズのカレー

昨年11月くらいから
「顔白くね?」

と会社の先輩達からよく言われる。

そしてたまに

「覇気がない」とも。

たしかに、年末は仕事がスランプだった。
仕事がうまくいかない理由は愛すべき上司達に相談して結論は出た。
原因は分かっている。
あとはやるだけ。

覇気も出てくるはずだ。

しかし、顔が白いのはどうしようもない。

これはまずい。

そう思ったので今年は決めたのだった。

黒くなると。


年が明け、今年の目標を「勝負にこだわる」と決め、
ラグビーやるためにまずは脱臼癖のある肩を
筋肉の鎧で固めるために筋トレを開始し、
さらに今年の裏目標である「顔を黒くする、そしてもこみちを目指す」を
意識し(まずは意識、思い込みから)始め・・・とまぁこちらもやるしかないのです。

日サロは行きません。

裏目標も真剣です。

今日のヒトコト

レッドクリフは三国志ファンとして納得できる内容ではない。

2009年1月3日土曜日

走る

【写真】永遠のスタースタンドオフ 曽我部選手

冬の夜に全力疾走で走ってみた。

足は動くが息がついていかない。

高校卒業してもうすぐ7年、
その間ほとんど走ってなかったもの。


走っていると、口の周りに苦い味がこみ上げてきた。

この感覚がやけに懐かしい。




そして、決意した。


ラグビーをやる。


もう一度、狂ったように闘いたい。




09年は勝負にこだわる。