【写真】高田荘 第5期メンバー
若いうちにルームシェアをするといい、
という価値観が俺にはある。
高田荘
俺の原点。
三角形の形をした一軒家。
その家に常時3人が住んでいる。
21才春から25才冬まで、丸5年住んでいた。
近くには神田川が流れ、路面電車の都電荒川線が走り、銭湯もある。
かぐや姫の「神田川」のモデルになったそんな豊かな町に高田荘はある。
かぐや姫の「神田川」のモデルになったそんな豊かな町に高田荘はある。
高田荘はという名称は自分達でつけた愛称。
トキワ荘を意識して命名した。
トキワ荘…漫画家の卵たちがそれぞれの夢を見て集った梁山泊。
手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄など、
日本漫画界に名を残した人たちが共同生活をした家。
高田荘のメンバーは進む道がそれぞれまったく異なるが
トキワ荘のように、夢を抱いて、いつの日か世に出たいと願う
トキワ荘のように、夢を抱いて、いつの日か世に出たいと願う
ギラギラした若者が集まり、それぞれの想いや夢を語り合える家にしたかった。
事実、高田荘はそうなっていると思う。
たこ焼きパーティーをしたり
鍋をしたり
それぞれの仲間を呼んでは、語った。
20代の前半に、馬鹿な話や真剣な話を
様々な背景を持った人たちとすることができた。
国際学生シンポで出会った世一は
その1ヶ月後には関西から上京し、
以前の大学を退学して、早稲田に入りなおした。
奴の紹介で、占い師のユピテル、映画の飯塚、
ダンスの新田くんが高田荘にやってきた。
以前の大学を退学して、早稲田に入りなおした。
奴の紹介で、占い師のユピテル、映画の飯塚、
ダンスの新田くんが高田荘にやってきた。
高田荘は一軒家三階建てで、「扉」は玄関とバストイレにしかないから
人と向き合わざるを得ない環境になる。
人と向き合わざるを得ない環境になる。
当然、メンバー同士の衝突もあったし、
それぞれ我慢した部分もあった。
でも、そこでしか出会えなかったかもしれない人たちと出会え、
こいつらだから、と打ち明けられた話もある。
俺だけじゃなく、ほかのメンバーもそうだった。
俺だけじゃなく、ほかのメンバーもそうだった。
人に言えない自分の内面をさらけ出すことで
乗り越えられたこともあった。
そんな家と仲間に出会えてほんとうに良かった。
だから、みんなにもおススメしたい。
柴田は政治の道を志し
本田は教育を通じてたくさんの高校生と向き合うだろう
世一は物を書くことで己を表現し、
ユピテルは占い師として悩める人の救いになり
南米放浪から帰ってきた飯塚は映画界の巨匠になるのであろうか
新田君は保育士の卵、3つ子の魂にとても温かい感性を伝えてくれるはず
俺の代わりに入った馬場は…永遠に自由人だろう
高田荘メンバーの将来が楽しみだ。
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