最近、村上龍にハマッている。
「希望の国のエクソダス」
「愛と幻想のファシズム」
と連続で読破した。
大きくて抗いようのない事実(この話では権力)に対し
誰も気づいていない「違和感」を感じて
名もなき中学生、ハンターが鮮やかに挑戦状を叩きつける
そんなお話。
龍氏のすごいところは、小説の中で、
その「違和感」を破天荒な主人公を使って世に提起し
壮大な計画に乗っけて変革を巻き起こし
実にリアル世界でもそんなことが起こるんじゃないかと
小説を読んでいる間思わせ続けるすれすれのところを描写できる点にある。
ふむ。
一見抗いようもない
(はたまた多くの人がまぁ納得するような)
事実を目にしたとき、
自分がその事実にどのような「違和感」を感じて
(そもそもその事実に、
自分の中で違和感を感じるだけの感性を持っていられるか)
どのように立ち向かうか
ってすごく大事なことだと思う。
たとえば今の俺だったら
会社の事業に対して、
会社に対して、
社会に対して、
そして自分に対して
当たり前の事実の中にどんな「違和感」を感じることができるか?
その「違和感」をどのように言葉にして
どのように他者に伝え
自ら修正することができるか。
違和感をどうする?
最近はそんなことを考えている。
ちなみに。
俺は民主党の枝野幸男議員のメルマガに登録しているのだが、
そこで取り上げられていた「道路財源一般財源化に関する問題提起」を読んで、
枝野議員が感じている最近の論調への「違和感」の切り口に唸った。
彼は「違和感」を言葉にして修正できる人です。
【最近食べたもの】
餃子とビール、「永楽」でつけそば@中野
「喜楽」でもやしそば@渋谷
カラ館でビール@高田馬場
今日のヒトコト
「オフコースな人間(からの脱却)」
「ええねん」
2 件のコメント:
僕は違和感をどうこうするには学ぶ必要があると思っています。あるいは、学んでいるからこそ違和感を感じることができるのではないかと。
よかったら枝野さんの議論を紹介して下さいよ。
ええねん、ええねん。
>つじ
そうだね
学ぶ意味ってののひとつに、
違和感を感じとることのできる人間に
なるためだ!ってのを加えてくれ、教授!
枝野さんのお話は
今度会ったときに話たる。
それでええでっしゃろ?ええねん。
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