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母校・乗附小学校
先週高崎に行った。
小学3年から中学1年まで過ごした思い出の地。
引越しが多かった俺にとって、最初の大事な故郷はこの高崎。
山におわす観音様(巨大な観音様がなぜ山に?)に見守られながら毎日飽きもせずサッカーや野球をしていた。
田植えもしたな。
山歩きもしたな。
川で飯盒炊爨もしたな。
駅から母校まで歩いた。
烏川沿いの河川敷を歩いていると、
「あぁ、そういや昔ここに俺はいた。楽しかったな」ってことを思い出す。
懐かしい空気っていうのか、匂いっていうのか、
高崎以外の土地では絶対に味わえない幸せな感じがこみ上げてくる。
河川敷では、所属していた少年野球チーム「乗附ライオンズ」が偶然にも練習試合をしていた。
俺がいた頃は超弱小チームで市内大会でも一回戦突破が目標だったのに(それすらかなわなかった)
いまや「群馬県最強・目指せ全国制覇」だっていうから驚いた。
確かにあれから12年経っている。(気づけば干支が一回り)
しかし超弱小⇒県最強チームへの変貌はすごい。
それだけ12年という年月は長いのかもしれない。
たとえばさ・・・
シリコンバレーの栄枯盛衰とGoogle誕生
阪神タイガース、万年Bクラスから優勝候補常連へ
スティーブジョブズによるMacの鮮やかな復活
Blogの普及により、一億総表現時代へ
誰か12年前に予想できた?
次の12年後はどんなことが起こっているのだろう。
時代の先を読む人間が時代を牽引する。
話が脱線したけど。
河川敷を歩いて母校の小学校へ行き、旧友と再会。
一緒に恩師の家を訪れる。
小学校時代の話
仕事の話
先生の老後生活の話
たくさん話をした。
先生と一緒にいた小学4年生が特別思い出深いのは
生徒が自主的に勉強の工夫や遊びを考えられる機会が多かったから。
自分達の意志で行動することが多かったから
楽しかったし、記憶によく残っているのだと思う。
自分の価値観の源泉がここに結構あったりするのもよくわかる。
夕食は先生の旦那さんが天婦羅を揚げてくれた。
ふきのとうの天婦羅が絶品。
素敵な夫婦だ。
今度高崎に行ぐのはいつになるだろう。
高崎でしか味わえない感じを求めて、また遊びに行こう。
1 件のコメント:
>今度高崎に行ぐのはいつになるだろう
なまって帰ってきたんすか?ww
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